平井一雄
このことについては北陸石仏の会会長平井一雄氏が『日本の石仏』で発表されているので紹介したい。また尊名は同副会長滝本やすし氏の説明である。
吉崎御坊「岩崎観音」の舟玉宮
北陸石仏の会第41回例会は「加越国境の石仏巡り」のコースを会員、滝本やすしさんの案内で平成22年10月24日、15名の参加者を得て実施された。昼食予定場所は蓮如上人ゆかり「吉崎御坊」の東御坊である。少し早めに到着したので見学箇所の一つ「岩崎観音」を拝観することにした。 吉崎御坊跡(御山)の麓、岩崎道に沿って、くり抜いた7つの岩穴に石仏が納まっている。案内板を読んで見る。①
「岩崎観音」
「幕末慶応の頃、西御坊下の船頭詰所で、水上安全・家内幸福を願って、岩崎の岩室に観音さまを安置する話がもちあがった。その夜のこと、船頭某の枕元に「われは蓮如の母でござります。観音さまをおたてになるなら蓮如ゆかりの石山観音をおたてくだされよ」といって立ちさった。この話を聞いた船頭衆は、石山観音像を刻むこととし、石工は、近江国石山寺へ出向いて石山観世音菩薩そっくりの石仏をつくり岩室へ安置した。その観世音は左手の手のひらを上にして、左脚の上に載せている石山観音のお姿である。以来、毎年八月十八日に観音祭を催し、現在も伝承されている。また舟稼業の人達もそれぞれの願いを込めて、如意輪観音・普賢菩薩・子育観音・知恵の文殊菩薩・薬師観音・勢至菩薩など、海上安全全の舟霊宮の石仏を建立した。これらの石仏群を村人は岩崎観音と呼ぶようになった」と記してある。
一体、一体見てみると如意輪観音・普賢菩薩・子育観音(尾田武雄さんはざくろの枝を持っている鬼子母神と解説)はわかったが不明像がいくつかあった。
その一つは写真②の三尊像である。
石像の表面で読み取れる銘文を読んで見る。
「宋太宗時業漁人女也
雍熙四年
九月九日昇天
雲中聲アリ
我則
観音化身普
海運ヲ護
セントヨリテ
舟玉宮ト
号スト」
この銘文の雍熙四年・観音化身・舟玉宮をキーワードにしてネットで検索したところ「媽祖信仰」が出てきた。 関連参考文献の中に「諸宗佛像圖彙」があったので手持ちの復刻本を見たところ写真③の図柄があり、この図柄を刻んだ石像に違いないと思った。 銘文は少し省略してあるようだ。
「媽祖と日本の舟玉神信仰」藤田明良の論文があり、要約する。
「日本では船乗りたちの間で、古くから船の霊魂を祀る船玉信仰があり、江戸時代より船玉を具象化した人形・髪の毛賽・古銭等を船体に埋め込む造船儀礼が行われた。これと並んで船玉を神格化し舟玉神・船玉宮・船玉明神・船玉権現・船玉菩薩等と称して船の守護神、海上安全の海神として祀る信仰も顕著になったが、媽祖をこの舟玉神にあてようとする認識が当時の日本には存在した。
中略、越前では福井市近郊に天妃媽祖観世音菩薩を本尊とする補陀洛山普門寺があり、17世紀末に長崎から招来したという天妃観音像が現存する」
この岩崎観音の船玉宮もこの辺から伝わった信仰ではないだろうか。 日本石仏図典(正続)他石仏関係の資料に媽祖・船玉宮石像の報告がないので『日本の石仏』誌上に奇稿する。
「舟玉宮」以外の石仏にも変わった図柄の石像があるので関心のある方は、拝観されたらいかがでしょうか。浄土真宗は阿弥陀一仏の吉崎御坊にこのような民間信仰が根付いていることがわかったことは、日本石仏協会に参加しているからこそとありがたく思っています。
参考文献
・ 増補諸宗佛像圖彙
・ 東アジア海域交流史第2号
報告5「媽祖と日本の舟玉神信仰」藤田明良
・ 朱天順『媽祖と中国の民間信仰』
2010・11・5
〒939_ 2223
富山市笹津6区
平井 一雄







