大岩不動三尊の模刻像と熊野権現  平井一雄

北陸石仏の会第50回例会「旧金津町と丸岡町の石仏」に参加した。
副会長 滝本やすしさんの案内で20名の参加者が滝本さん作成の資料をもとに11ヶ所の石仏群を観賞した。
詳しい報告は別にされると思うので私が感銘した「丸岡町谷町二丁目の近藤家祭祀の「不動三尊」を報告する。
「石仏の会々報45号」に報告した関根新左エ門の控帳「立山参詣記」の中に大岩日石寺が記されている。写真と解読案を紹介する。
「右ハ熊野大権現長高童子」と記されている。
長高童子は「制多伽童子 せいたか童子」の当て字であり、「金伽羅童子 こんがら童子」と反対になっている。
近代の資料に「阿弥陀如来」とされている弥陀定印の仏は熊野権現と記されている。
熊野権現の本地仏は阿弥陀如来であり、立山修験の不動明王信仰に次いで熊野信仰の流入が考えられる。
滝本さんの資料では近藤家の先代とが京都から持ってこられたと書いてあるが、
見学の途中で出てこられた女性の方が「亡くなったお祖父さまの目が不自由で 大岩さんのお不動様を摸した石祠をお祀りされたそうです」とはなされた。
やはり大岩不動の霊験を信じて大岩不動摸刻像をこの丸岡町にも作られた時代があったのである。
「石仏の会々報45号」に報告した関根新左エ門の控帳「立山参詣記」の中に大岩日石寺が記されている。写真と解読案を紹介する。
越中國新川郡茗荷谷村
 一 大岩山日石寺
    當山不動尊之義者行基菩薩
    之御作二而大岩二切付其岩ニ御堂
    ■造掛不動尊御丈壱丈六尺
    右ハ熊野大権現長高童子(せいたか童子カ)
    左ハ行基菩薩金加羅童子(こんがら童子カ)
    五像共壱ツ岩也
  
    長高童子  立像
   熊野権現 座
 不動尊 座
   行基菩薩 座
    金加羅童子 立像

2件のコメント

  1. この石仏は、所有管理されている近藤家の話では「先代が京都から持ってきた」そうです。石材は丸岡産の凝灰岩とみられることから、丸岡で制作されて京都へ運ばれ、近藤家の先代によって丸岡に里帰りしたようです。福井県内でも各所で大岩信仰がみられます。

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