第5回 コラム 「狛犬考」
『富山県神社誌』(昭和五十八年発行)によると、富山県下に二千二 百数十社の神社があるという。そこの参道には、ほとんどといっても いいくらいに一対の狛犬がいる。
神社によっては何対もの狛犬がいたり、またいない神社もあるかもしれないが、神社数に比して狛犬があると仮定すると、たくさんの狛犬がいる。
石仏調査に関わって二十数年経て、多くの珍しい石仏と対面することができたが、狛犬に関しては、案外無頓着に接してきた。数年前に『砺波市資料編・社寺』で、市内百二十の神社を訪問して、いろんな調査をしたが狛犬に関しては置き去りにしていた。
(これは私の責任ではあるが)


石仏を調査をし研究する仲間やその愛好者の間では「石仏」とは、石神、石塔、手水鉢、石鳥居、狛犬など石造物全般をさす総称として暗黙の了解がなされています。
そこで全国の仲間に問い合わせたところ、狛犬だけをこだわって調査している人は非常に少ないことがわかった。
そんな中にあって、北陸石仏の会副会長の柳沢栄司さんが、石仏の写真を撮り始めたのが、狛犬がきっかけでありたくさんの写真や情報を頂いた。
富山県の古い石造の狛犬は、京田良志氏の多くの調査報告によって室町時代の越前石によるものが知られているが、これらはほとんど堂内に安置されている。私たちが簡単に拝見できるのは、やはり神社の参道などにいかめしい顔をしたものやユ-モラスでひょうきんな狛犬たちである。


これら参道にある狛犬たちのほとんどは、明治以降の作品で、庶民である村や町の石工たちが精魂込めて作ったものである。その中にはライオンのようにたてがみのあるもの、ぎょろ目、叫ぶもの、顔がいぬのチンに似ているもの、おかっぱの女の子のようなもの、子供が数匹もじゃれているものなどさまざまである。
また前足を屈め、尻を上げて相手を威嚇するような狛犬は、出雲地方だけと思っていたら、富山市中沖の二上社、同市向新庄の志麻神社などの見ることができる。また滑川市の加茂神社には前足と後ろ足を立て、いかにも今襲いかかろうとしている姿である。
これら狛犬は、明治以降の造作であるのと神社への寄進という性格上、寄進者名や石工名が記されている場合が多い。石工名の中には石仏の製作者の名前も散見することができる。
利賀村上百瀬の神明社の狛犬は井波町常川義太郎であり、彼は福野町雨潜神明社に十一面観音がある。また砺波市芹谷の真言宗の古刹千光寺参道にある三十三カ所観音を作った田中正蔵は、市内の正権寺五社神社の狛犬を作っている。
ところでこれら狛犬の中で卓越しているのは、なんといっても福岡町小野八幡宮の狛犬だろう。狛犬の吽(うん)像が躍動感溢れ、逆立ちをしているのである。
また阿(あ)像は両足で立ち前足の中に子供を入れている姿である。非常に珍しく彫りも素晴らしい。この狛犬は銘によると「明治丗四 石工金沢福嶋伊之助」とあり、彼の会心の作のなのであろう。

彼のこのような作は金沢市本多町石浦神社にもある。そこには「明治二十四年四月 石工福嶋伊之助」とある。またこれとよくにた作品が八尾町高熊八坂社にあり「明治三十四年八月 石工金沢市五宝町近松二平」とある。
柳沢さんが調査された資料から、多くのことが学びとることができ、石仏踏査の際のは狛犬にも目を向けたいものだとつくづく思った。