飛騨街道の石仏(5)

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庚申塔・金毘羅さま

庚申塔

庚申とは十干(じゅっかん)の庚(かのえ)と十二支の申(さる)とが結び付いた六十回に一回まわってくる日や年のことです。

中国の道教の思想に三尸説(さんしせつ)というものがあります。これは人間の体内に三尸という虫がいて、いつも人間の早死を望んでいるが、庚申の日の夜ごとに人間の眠っている間に、その人の体内から抜け出して天に昇り、天帝にその人の日常の罪科を報告する。天帝はこれを聞いて、その人の死期を早めるという説です。三尸の上天を防ぎ、長生きをするために庚申の日に身を慎み、一夜を眠らずに過ごすことを守庚申(しゅこうしん)といいます。

左:猿田彦大神(庚申塔)
右:弘法大師

日本では奈良時代に宮廷貴族の間で守庚申が行なわれ、平安時代の末頃から武士の間に広まったようです。江戸時代では修験者の指導によって信徒集団がつくられ、仏教の方では青面金剛(しょうめんこんごう)を本尊とされ神道では猿田彦大神(さるたひこたいじん)を守尊として、庚申信仰の大衆化が進んだのです。

飛騨街道の集落でも盛んに庚申信仰が行なわれた時代が あり富山県大沢野町坂本、小糸、船渡、猪谷、細入村片掛 猪谷、蟹寺、加賀沢から岐阜県側の各集落に青面金剛像が残されています。現在でも庚申講の行事を行なっている集落もあります。

金毘羅さま

大沢野町猪谷
瀬戸宅屋敷神

金毘羅とは梵語「クピーラ」の音写でガンジス河に住む鰐の神格化された神です。この神は仏教に取り入れられて金毘羅大権現となりました。

水に関係のある金毘羅は海上守護の神として信仰され船乗、香川県多度郡琴平町にあり多くの人に知られる神社です。漁民を始め都市、農山村の住民にも広く信仰されました。

江戸時代後期には諸国に金毘羅講ができ盛んに金毘羅詣が行なわれました。

飛騨の村々のなかでも有力者の金毘羅参り、伊勢参りが盛んになり参拝の記念碑として金毘羅石碑が建立されたのです。