飛騨街道の石仏(6)

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三夜さま(さんにゃさま)
サンニャ様(二十三夜さま)

サンニャサマの行事と二十三夜塔

大沢野町猪谷(通称 東猪谷)地区で行なわれるサンニャサマの行事を報告する。サンニャサマとは二十三夜の月待行事である。一月から三月の間に行なわれる。

近所の主婦たちがそのうちの一軒に集まり世間話をしながら月の出を待つ。月の出が近くなると「やがて出られるやらしれんちゃ」といってろうそくや線香をたてて拝む。参会者には団子かぼたもち又は赤飯のうち何かを作って供する。集まる範囲は隣近所といった程度で一定していない。またきまった講組織はない。「こんどはおらとこで待とまいか」といった具合である。どちらかというとその年に身内の祝事のあったような家がよく宿をする。(参考 富山民俗№47号 平成7年8月)

東猪谷 四辻のさんにゃ様 (二十三夜月待講の御神体)

  • 日月の紋入り
  • 杓持ち衣冠束帯の神像
  • 二十三夜講の本尊は勢至菩薩や二十三夜の文字碑が殆どであり、このような神像はまれである。

東猪谷のサンニャ様

東猪谷の北端、通称下向(シモムケ)の四辻に村人がサンニャサマと呼んでいる石仏がある。大きな石(115×80cm)に宝珠型の輪郭をとり、中に衣冠束帶の笏を持った坐像をレリーフにし頭の両端に日月を吊るしたように配したもので背面に「天保九戌年七月」の紀銘がある。ここでは月待のときやお盆に線香、ろうそく、野菜を供えるが、特にこの前で特別の行事をすることはない。

細入村蟹寺の三夜様

東猪谷の対岸、細入村蟹寺のサンニャサマ。「サンニャサマまだ上がられんけ」「いま上がられるわいね」「雪が降っとるから今日は拝めんわね」などと集まったおばあちゃんたちの楽しい会話が聞かれる。

細入村蟹寺の曹洞宗慈眼院に集まり、昔ながらに二十三夜の月の出を待つ人たちである。蟹寺は岐阜県境に接する二十九世帯の小さな村で、一村全体が同村片掛の曹洞宗大淵寺檀徒である信仰心厚い土地柄。月待ちの講を開くのは、同地区で五十六歳以降の婦人が加入する親交ひまわり会の人たちである。三夜様は毎年旧暦の正月、五月、九月の二十三夜の日に行われる。以前は、持ち回りで参加者の家を宿としていたが、最近は、慈眼院に集まることが多くなった。午後七時半ごろにお茶菓子や夜食などを持って集まり、揃ったところで二十三夜の仏の勢至菩薩にお花とお茶を供えてお参りする。このあと般若心経とご詠歌が一時間余り続く。仏事が終わるとお講に入り、お茶を飲みながら世間話をして月の出を待つ。

正月(旧暦)サンニャサマは天候の関係で拝めないことが多く、数年に一度拝めればいいとこである。参考 富山新聞社編『富山の習俗』今年(平成七年)の旧暦正月二十三日は二月二十二日にあたり、蟹寺の中村たみさん(明治四十一年生八七才)にサンニャサマの話を聞いて、出来たら参加したいが、と電話したところ、ひまわり会は高齢化と後継者難で残念ながら解散したところだと言われた。個人的にやっている家もあるかも知れない、私も簡単にやってはいると話された。

参考文献に出ていないことを書く。勢至菩薩の仏様はないが慈眼寺の本尊、お釈迦様の前で般若心経と和讃(ご詠歌)をあげ、勢至菩薩の真言を唱える。真言は オン サン サン サン サク ソワカと言う。

勢至菩薩

勢至菩薩一尊単独でまつられているのは、二十三夜待の本尊としてまつられる場合が多い。 虚心合掌(両手をいくらかふくらませた型の合掌)で髻(もとどり)に宝瓶を抱く大沢野町猪谷 浄土宗宝樹寺の境内にある石仏の一つに円形の光背の中に立て膝、合掌、頭上に宝塔を抱く勢至菩薩らしき石仏がある。紀銘はない。勢至菩薩の真言。オン サン サン サン サク ソワカ。

宝樹寺境内 勢至菩薩
  • 頭上の冠と合掌像で勢至菩薩と判断した。
  • 円形は月を表すのではなかろうか。
  • 頭上の冠と合掌像で勢至菩薩と判断した。
  • 大小の円の組み合わせで日月を表している。
  • 三夜さまの本尊ではないかと考えている。
  • この石像の伝承は採集されていない。
東猪谷 猪谷発電所水槽から四辻へ降りる坂の途中にある。大日如来石仏の右隣の石がんの中に鎮座している。

サンニャサマの行事は東猪谷を含む大沢野町下タ地区一帯で行なわれている。下タ北部の布尻(ぬのしり)地区でもサンニャサマを行なっている家がある。その日は大きなボタモチを作るというが隣近所集まるということはない。

満月である十五夜が過ぎると、月の出はどんどんおそくなる。二十三夜の場合は月の出は夜半、当然長らく待って迎えることになる。

この夜の月は下弦の月で、これを船に見立てて、仏が末世の民の救済に来られると信じ崇めたてまつったことも考えられないことではない。おそい月の出を拝し、しばらく勤行にはげんでいるほどに夜は明ける。

岐阜県神岡町西茂住
徳翁寺境内
  • 日月の紋入りだが信仰の伝承はない。
  • 二十三夜の本尊と考える。

東猪谷と境を接している岐阜県神岡町西茂住地区徳翁寺境内の石仏群のなかに、舟型光背で立膝、合掌、頭上に宝塔、日月を配した石仏がある。

伝承はないが勢至菩薩の像容であり、日月を配していることから二十三夜待の本尊としての信仰があったのではないかと考えている。

江戸時代の古書『操草子』の二十三夜待の章を要約する。

  • 勢至菩薩をまつる行事である。
  • 正五九月の行事がとりわけ重視されたこと。
  • かならずしも講単位でおこなわれたわけではなかったこと。
  • 特に午歳の者がまつる行事であったこと。
  • 夜更けまで遊びに興じたこと。

夜を徹して遊びに興ずることは日待、月待などのマチ事に共通することである。
参考飯田道夫著『日待・月待・庚申待』

二十三夜塔は文字碑が一般的であり長野県、新潟県の旅行で庚申塔、大黒天像とともによく見かける。

勢至菩薩は一石阿弥陀三尊として観音菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍としてまつられることが多い。勢至菩薩の単独像は二十三夜の本尊と考えてよいといわれている。

信州 安曇村 大勢至菩薩

月待信仰の文字碑と各地の伝承

越後湯沢 熊野神社境内
  • 二十三夜塔
  • 麻利支天尊
  • 大日如来
  • 右は石祠(本尊不明)
信州 安曇村 二十六夜塔

山之村の伝説

小島千代蔵『飛騨の傳説』には[二十三夜の月]という岐阜県神岡町山之村地区の伝説が採録されている。

今から何百年も昔の事、天女がこの下界に降ったかと思われるような美しい女が山之村に現れた。その女は旅先で夫に死別して、この山の奥へ迷い込んだのだといった。村の男達の眼は一せいにその女に注がれた。我こそは妻にせんと、皆眼の色を変えて通ったが、誰一人として目的を達した者はいなかった。

この女が来てからは男達の目には村の女がいかにも醜いものとなり、男の女に対する愛に大変動を来たした。あちこちに烈しい夫婦喧嘩や家庭争議が始まった。

気の強いおかみさんが数人、この女の所へ抗議を申し込んだ。「私は皆さんの夫を一人も奪ったことはありません。男の人に来て下さいと頼んだこともありません。男の人達がどうしょうと、それは私の知ったことではありません」という返事であった。

事実その通りであるが、この美女一人の為村の大勢の女が迷惑を受けていることも亦事実である。口先の抗議位では何の役にも立たないことを知った彼女達は、或夜竹槍を持って彼の美女の家へ押し寄せ、無残にも殺してしまった。そして家に火をかけて焼いてしまった。

猛火の中から一つの大きな火の粉が恰も流星のように空に上がり、それが二十三夜の暁の月の中へすいこまれるように入ってしまった。村中の竹という竹は全部枯れてしまった。下手人の女達は皆狂い出した。毎夜美女の幽霊が村のあちこちに現れた。

村の女達は美女の霊を慰める為に、女ばかりの祭りをおこなった。美女の殺された八月二十三日(旧暦)の夜若い女が集まって「二十三夜様の月祭」と言って暁の月を拝むのはこの為だと伝えている。今でも山之村の娘達は二十三夜様に、自分の顔が美しくなる様に願うのだと思っている。

瀬戸内地方の三夜待ち

作家壷井榮が昭和二十二年に出した短編『三夜待ち』には村の名前は書いてないが温州蜜柑の畑がある海辺の村の年老いた独り身の男女のほのかな愛を三夜待ちを背景に描いている。

「三夜待ちというのは、村の年寄連中の集まりで、毎月旧暦二十三日の月の出を待って拝むというのが趣旨ではあるが、云はゞ一種の年寄りの娯楽機関であった。その日年寄り達は夕食頃から家を出かけめいめい手料理の重詰や酒みかんなどを持ってお稲荷様の籠り堂へ集まるのであった。そして夜明けに近い月の出まで歌へるものは歌い、踊れるものは踊る。そこへ集まる者は皆子育てを終へ、一家の重荷を下ろしたといったような連中が多かった。中には浄瑠璃好きな隠居爺さんもいればそれに合わせる芸者上がりの媼さんが古三味線を抱えこんで来て、皆を浮かれさせることもあった。又時としてはその集まりが、新しい御詠歌の稽古の會になることもある」
以下 略

二十三夜塔など月待塔とは

「十六夜塔」や「廿六夜待」「二十一夜講」、または「大勢至菩薩」などと彫られた石碑を総称して「月待塔」という。月待信仰の祈念碑である。

この月待ち信仰には、十三夜から二十六夜まで各種ある。それぞれ定められた特定の月齢の晩に、当番の家を宿として集まり、月の出を待つことが基本となる。

新潟県 塩の道の二十三夜塔など
二十三夜塔 御嶽大神

これは、江戸の中後期がから流行した行事だが、熱心に祈るというよりも、仲間との会合を楽しむといった遊興的なものであった。当日は、月が出るまで勤行や飲食、会話に興じながら待つ。月が昇ると各自、心願をかけて解散となる。この「心願」の内容は多彩。

十九夜、二十一夜、二十二夜は主尊(守り本尊)を如意輪観音とし、女人だけの講がほとんどである。安産や子宝祈願が多い。

二十三夜の主尊は勢至菩薩で、男性だけの講とする地域もある。その他、各月齢や講により、主尊とされる如来や菩薩はさまざまである。

月は、十五夜では夕方に東の空から上がり、夜中にもっとも高くなる。以降、月の出は1日平均、約50分ずつ遅れる。つまり、夕方に解散する講もあれば、二十六夜待ちのように日の出近くに解散するものもある。

(参考文献 サライ17号付録 平成14年9月発行)