血の涙を流す五劫思惟御像

尾田武雄

広島市西区の浄土真宗本願寺派法輝山光西寺に、五劫思惟の法蔵菩薩(阿弥陀如来)

富山県東部に五劫思惟の法蔵菩薩(阿弥陀如来)石仏が数多く点在していることは、拙著『富山の石仏たち』では、県内で十八体の石仏、四体の木像、二体の絵像を報告した。その後石川県、福井県、愛知県そして広島県、山口県などでは木造などが寺院に、ひっそりと安置されていることを知った。それらの地域は三河門徒、安芸門徒と称される真宗の篤いところでもある。ドキュメンタリー映画作家で教信坊住職青原さとし氏のご教示により、広島市西区の浄土真宗本願寺派法輝山光西寺に、五劫思惟の法蔵菩薩(阿弥陀如来)あることを知った。早速光西寺住職長上弘雅氏にお手紙をお出しした。ご返事は「全くこの法蔵菩薩の五劫思惟像に関しては、謂れなどを、先代達から全く聞かされておりません」とのことで「大切に思って安置し続けてきたいと思った次第です。」とのことであった。その後「法蔵菩薩五劫思惟像絵像」の写真を拝受した。

 この絵像は上部に縦書きで「五劫思惟御像」とあり、右膝を立て両手を添え、その手の上に首を傾げている。左足は無造作に岩座に座している。やせ細ってあばら骨が浮き出ている下半身には布を巻き、頭には肉髻が見え、円光もある。明らかに如来のお姿である。ただ細く小さい目から、赤い血の涙が流れ、岩座にその涙が残されている。この絵像は藤木元子同行に寄贈によるものであるが、いつの時代か謂れは全く不明とされている。仏像は仏教で説かれるお像であるが、多くの場合穏やかで優しく、神々しいお姿が多く見受けられる。このような裸で岩座に坐し、やせ細って目から血を流すお姿のお像に接して驚きであった。

 近世において、真宗教学の振興とともに節談説教は興隆していた。真宗における節談説法の雄であり、幾多の説教者により数限りなく口演されてきた『親鸞聖人御一代記』(『祖師聖人御一代記』)がある。その中に「三本柿ノ事」中にこれは越中新川郡三日市での逸話を述べたものであるが文中に「法蔵因位ノ其ノ昔シ大悲深重ノ願ノオコシ五劫ニ是ヲ思惟シテ永劫ニ是ヲ修行シテ我等衆生ヲ助ケン為ニ血ノ御泪タノカタマリガ此ノ南ムアミタ仏ノ名号ヲ御成就ナサレ親カコヘシクハ本願ノ信セヨ子カ可愛値ヘタクバ我レタノメ必ス必ス助ケスクハズ」とあり、法蔵菩薩が我らを救わん為に血の涙を流されたとある。そして南無阿弥陀仏の名号を成就され、親が恋しくは本願を信じよ、子に可愛くあたえれば我らの為に必ず助けてくださるという意である。

 光西寺住職長上氏がお手紙で「私は、法蔵菩薩の像から 親の姿を連想しますね。不幸者の子を案ずる親の風情を法蔵菩薩の五劫思惟像に感じさせられます。私たちが法話させて頂く事 聴聞させて頂くことなどは仏さまの全てお育てであり、全て法蔵菩薩の働き以外に何ものでもないのでしょうか。こうして我が寺に法蔵菩薩の五劫思惟像や法蔵菩薩の五劫思惟絵像がありながらそんなに気にもしていなかったわけですが、この度のご縁で味わさせられたというべきでしょうか。」とあり、五劫思惟の法蔵菩薩(阿弥陀如来)の心が、今も息づいている事に感動している。

参考文献 関山和夫編『大乗仏典<中国・日本編>』(中央公論社・昭和六十二年九月刊)

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